叩かれる道具
幼稚園の時は平手で叩かれていましたが、小学三年生のときに竹製の五十センチ定規に変更されました。「叩く手の方が痛いからね」という理由だったと思います。お尻叩きが始まる時、母は二つ上の姉に、「定規とって来て」と言って、姉に持って来させてました。その定規をみるとお尻叩きがすぐに連想されます。定規で力いっぱい叩かれると相当痛いですが、もちろん母も適度に手加減して、効果的な叩き方をしていたと思います
叩かれる格好
幼稚園の時に、まずおしり叩きの姿勢からしつけられた記憶があります。
両手、両膝を床について、ズボンとパンツを下までおろし、シャツをちょっとたくし上げるといった格好です。
母が、「おしり!」と言ったら、いつでもどこでもすぐにその格好にならなければなりませんでした。
この「パンツを下までおろす」といったことが重要で、パンツの上から叩かれた記憶はまったくありません。
一度完全にパンツを下ろさずに、ペロンとおしりだけを出したことがありましたが、すぐに、「だめっ!」と言われてパンツをぐっと下までおろされました。
おしり叩きを受ける姿勢は、最初両膝を床につけていたのですが、いつのまにか両膝を上げる姿勢に変更されました。たしか小学三年生の時くらいからだと思います。その時は母はすごく怒ってて、おしり叩きを宣告され、いつものように両膝をつけたままおしりを出すと、「もっとおしりを上げなさい!」と言われました。僕は両膝を上げて出来るだけ伸ばしました。その格好で五十発叩かれました。母はその格好が気に入ったらしく、「これからおしりの時はこの格好ね」と言われました。それからおしり叩きの時両膝を床につけていると怒られるようになりました。
叩かれる場所
家で叩かれる時は主に居間でした。カーペットに両手を付いておしりを上げてました。父の帰宅は十時頃で、おしり叩きは父が帰ってくる前に良く行われていました。家にはたいがい母と姉と僕だけで、姉はソファーに座ってテレビを見るふりをしながら、僕のおしり叩きを良く見ていました。姉は優等生で、おしりを叩かれている所を見たことがありません。ちょっと残念です。
家以外で叩かれたことはあまりありませんが、親戚の家だとその場で即叩かれていました。親戚の人たちの前でもよく叩かれていました。「あなたはよくおしり叩かれるわね」と従姉妹から言われていました。一度デパートで駄々をこねた時、女子トイレに連れていかれてそこで叩かれたことがあります。まさかそんなとこで叩かれるとは思ってもみなかったので、そうとう恥ずかしかった記憶があります。小学校低学年の時だと思いますが、おしり丸出しで叩かれてる最中女性が何人も入ってきて笑われました。
母はスパンキングマニアだったのか?
今から考えるとそんな気がします。少なくとも僕のおしりを叩くのが好きだったのは間違いないと思います。高校くらいのときだったと思いますが、母が旅行に行ったときお土産品店で「お尻たた木」という手の平の形をした木製のパドルみたいなのを買ってきていました。「これでおしりを思いっきり叩きたいわね」と振りまわしていました。さすがにこちらは高校生ですから叩かれることはありませんでしたけど、叩かれてみたいとは思っていました。
僕はと言うと、小学校二年くらいから、おしりを叩かれるのが結構好きになっていました。叩く時母が少し手加減していたので、それほど痛い罰ではなかったせいでしょうか(それでもそこそこ痛いのですが、皮が剥けるようなことはありませんでした)。ですからわざと怒られるようなことをして、おしりを叩かれていたところもあります。
特に、小学校五〜六年の頃は、とにかくおしりを叩かれたくて悪さばかりしていました。一番叩かれていた時期です。それでも叩かれる時には神妙なふりをして、恥ずかしそうにおしりを出し、一発叩かれるごとに「いたっ」とのけぞったりしていました。おしりをわざと手で隠し、その手をピシャリと母に叩かれ、おずおずとおしりを晒したり、叩かれている最中わざとおしりを下にさげ、「ちゃんとおしりを上げなさい!」とはたかれたりするのが何かしら快感でした。
その頃の母も、それ程怒っていないような時でもおしりを宣告していました。そんな時のおしり叩きは笑いも出るような和やかな感じでした。「今からお風呂入るんだから、おしり叩かれてすぐに入れるように全部脱いどきなさい」と、上も下も脱がされて叩かれたこともあります。丸裸でおしりの格好になると、母はすぐには叩かずに、「まあ〜、はだかんぼうでいいかっこうね〜」と笑ってはやし立てたりもしてきました。「はやく叩いてよ〜、恥ずかしいから」と僕が言っても、「駄目よ、ゆっくり心をこめて叩くから」とゆっくりと定規を振り下ろしていました。おしりを叩かれた後、指でおしりの穴を広げられたこともあります。僕が慌てておしりを隠すと、「見えた〜、おしりの穴見〜ちゃった」と母は笑っていました。こんな時の母は面白いかったです、まあ本気で怒った時は相当怖かったですけど。